感謝の念

世界中の道場で、武道の稽古の終わり方には、種々様々な形があると思うが、私の経験では、最後の儀礼のひとつが、師と仲間に対する「礼」であることに変わりはないと思う。

この「礼」は、もちろん、稽古に参加した他の者達へ敬意を表しているのであるが、先日、杖道の稽古の終わりに、私は「礼」の持つもう一つの重要な側面「感謝の念」に気づいた。

「感謝の念」は、おそらく「gratitude」と訳されるであろうが、伝統的日本文化の大きな部分を占める概念である。理想的には、人は、自分の世話(助け、支援、好意など)をしてくれた人物に対して「感謝の念」を持つ(また示す)べきである。よって、少なくとも伝統的には、人は、衣食を与えてくれる親に対し、教えを施す師に対し、雇用し指導してくれる上司に対し、面倒をみてくれる兄に対して、「感謝の念」を感じるべきなのである。実際、我々が人生で出会うすべての人が、何らかの形で、「感謝の念」の対象となりうるのである。

というわけで、私の杖道の稽古に話を戻すが、ある日、稽古の最後に、仲間と先生に対して礼をしたとき、私は実にはっきりと、その道場の一部である私はなんという幸せ者だろうと感じた。もちろん、新しい技や型を学べるのは嬉しいが、これはそれ以上の思いであった。この思いが、異国に住んでいることで私が今でも時折感じざるを得ない孤独感や孤立感と関係しているのは確かだが、ともあれ、その瞬間、私は、稽古に参加した人々から私が受けたすべてのことに対し、真の「感謝の念」を感じたのである。

言葉で言い表すのは容易ではないが、道場の仲間達のおかげで、私は、共に笑うことのできる(そして時には泣き出しそうにもなる)場所を得たのである。そこでは、武道への関心を共有できる。また、そこでは、ありのままの私を受け入れ尊重してくれる。そこでは、私は真の帰属感を持つことができる。仲間がいるという気持ちにしれくれる場所なのである。

このことに気づいて以来、私は、稽古の最後に、先生、先輩、後輩に対して礼をする度、自分がどれほど彼らに感謝しているのかを意識して思い出している。

自国に住み、友人や家族や慣れ親しんだ文化に囲まれて生活していると、道場で自らの「感謝の念」を十分意識するのは少々難しいかもしれない。しかし、試みてみてもいいかもしれない。次の稽古が終わったとき、自分が道場の一部であることがいかに幸福なことであるかに思いを馳せてみてほしい。

2006年4月13日

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