ほとんどの日本人の知らない日本武道である杖道

私は日本人によく趣味や研究分野について聞かれます。そうした時に、日本武道だと返事をすると、皆に、「何の武道ですか?」と聞かれます。「空手道の方が長いけど、杖道もしています。」と答えると、ほとんどの人に「何それ?」または、「マークさん、発音が悪いよ。ジュウドウと発音するんだよ。」と言われます。明らかに、日本人にさえ日本武道の一つである杖道は、あまりよく知られていません。それで、ここで杖道のことを少し紹介させていただけることを嬉しく思います。

杖道の「歴史」については、未確認のこともかなりありますが、一般的に次のような説明が認められているでしょう。杖道(杖術)は17世紀の初期に一人の武士により考案されたものです。その武士は夢想権之助という名で一番よく知られていますが、本名は平野権兵衛だと思われています。

夢想は、天真正伝香取神道流ともう一つの古流武術を学んだと言われています。その後、江戸に行き、色々な有名な剣客と試合をしましたが、一度も負けませんでした。しかし、ある日、宮本武蔵と試合をし、敗れたのです。以来、夢想は大変な修行をし、ある時点で現在の福岡県太宰府市にある宝満山に行き、そこの竈門神社で37日をかけて祈願しました。そして、満願の夜、夢の中に幼い子供が現れ、「丸木をもって、水月を知れ」という神託を伝えました。そこで、夢想は当時の太刀より長く、6尺棒より短い、新しい丸い木の武器を作り、その使い方を色々と工夫しました。この「杖」は普通の長い棒より操りやすい上に、突けば槍、打てば棒や太刀、払えば薙刀のように使うことが出来ます。また、多くの武器と違って両方の端が使え、さらに手の位置の調整によりどんな間合いでも有効的に戦える武器です。疑う人が多いかも知れませんが、伝説によると、新しい武器と武術を以て、夢想はもう一度武蔵と試合をし、今度は勝ったかあるいは、引き分けになったのです。とにもかくにも、この真道夢想流という新しい武術を考案した後、夢想は福岡藩に定住し、武術の師として抱えられ、その流派は藩外不出の御留の武術になったと言われています。

夢想の武術は、福岡で代々伝わり、その間にいくつかの変化がありました。例えば、流派内の事情に伴い、「真道夢想流」が「新當夢想流」と改称され、さらにその後、現在の「神道夢想流」になりました。また、別の武術(一角流十手術、一心流鎖鎌術、一達流捕縄術、内田流短杖術等)が併伝武術になりました。

歴代の師範が継承していき、24代師範は白石範次郎(1842年-1927年)でした。白石には、高山喜六(1893年-1938年)、清水隆次(1896年-1978年)、乙藤市蔵(1899年-1998年)という高弟がいました。白石範次郎が86歳で没した後、その家族が転居することになり、自宅にあった皆の道場がなくなりました。そのため、1929年に高山喜六の家の裏にある物置が改造され、高山が師範、清水隆次が副師範、乙藤市蔵他五人が教師である「福岡道場」が設立されました。このうち清水隆次は、翌年の1930年に杖術を普及させるために東京へ転居し、乙藤市蔵が福岡道場の副師範になりました。1938年に高山喜六が46歳くらいで急死した時、乙藤が道場の師範になりました。

高山喜六と乙藤市蔵も杖術の普及を目指して色々と活動しましたが、25代師範になる清水隆次の活躍には特に著しいものがありました。その活動は枚挙にいとまがありませんが、高山や乙藤等と共に行った多くの演武(重要な機会での演武も含む)の披露、警視庁、警察大学、柔道の講道館、海洋少年団、一般市民が参加できる道場等、様々な多くの場所での指導や監督、外国(満州、アメリカ、マレーシア)での指導、杖愛好者の2つの組織の設立における中心的な役割等があります。(1940年の「大日本杖道会」の創立時から「杖術」が人間形成の要素をより強く表す「杖道」と呼ばれ始めました。)

普及の過程において、1931年の終わり頃に、清水隆次はその当時までなかった集団指導を行うために、神道夢想流の形の中から基礎的な技を抜き出し、現在の全日本剣道連盟(全剣連)杖道の基本12本の原型となった基本技を仕上げました。1956年には清水が率いていた組織が全剣連に加入し、その傘下団体となりました。その後、全剣連の中に清水隆次や乙藤市蔵を中心に、12年間もの間、「私的特定流派に偏しない、かつ、普及に適した杖道のあり方」(松井、2006、24)を検討する杖道研究会が設けられ、1968年に全日本剣道連盟杖道形12本が制定されました。基本的に神道夢想流の60本以上の形から抜き出したこの12本は、人口が最も多い杖道である全剣連杖道の現在の形の原型となりました。その形の制定を契機に、清水隆次は同じく1968年に全剣連に属して活動することにし、自分が率いていた組織は解散しました。

既述のように、1938年に高山喜六が没した後、乙藤市蔵が福岡道場の師範になりました。以降、清水隆次は東京を中心に、乙藤市蔵は福岡を中心に、長年活動しました。乙藤市蔵が教えた神道夢想流は師匠の白石半次郎に教わったものと同じだったようですが、清水隆次はその技や形の変更を行い、指導しました。その大きな二つの理由は、普及のためと剣道から影響を受けたことだと言えるでしょう。

大きく簡単に分けると、現在も、古流である神道夢想流には、福岡の流れと東京の流れがあります。また、現代武道である全日本剣道連盟杖道も今も健在です。他にも日本杖道の流派がありますが、神道夢想流と全剣連の杖道が最もよく知られており、稽古する人口も多いです。これらを学びたい人は、ほとんどの場合、全剣連杖道で始め、あるところまで進んでから、もし興味があれば、古流の神道夢想流も始めます。全剣連の杖道のみに専念する人もいます。

全剣連杖道を学ぶ人は、先ず、「単独動作」から始めます。これは、杖道の基本12本の一人での練習です。次に、木刀を持っている相手に向かい、同じ12本の活用の練習である「相対動作」を行います。三番目の段階は形の練習です。杖道の形は、二人で行うものですが、もちろん一人での練習も出来ます。杖の技のみならず、形の「太刀」の側も覚えなければなりません。初心者以外の稽古時間は、主に既述の12本の制定形の練習に費やされます。神道夢想流杖道の稽古の場合も形の練習ですが、より複雑なものや難易度がより高いものを含む60以上の形があります。

全ての武道について言えることでしょうが、杖道の稽古を通して得られるものが多くあります。肉体的な面では、姿勢、耐久力、柔軟性、体の強さ等が向上します。精神的な面でも利点が少なくありません。例えば、杖と木刀の技や形をきちんと覚え、絶えず上達し続けるには、相当な努力、集中力、忍耐力や粘り強さが必要であり、稽古を通してそれらが養われます。また、杖道の二人で行う形の練習は、協調性や人に合わせる能力を育てます。「仕杖」の人と「打太刀」の人とのタイミング、スピード、入れる力、間合い(お互いの距離)等が合わなければならず、二人ともそのように留意しなければなりません。さらに、寸止めで行われる形ではありますが、相手がかなりのスピードや力で切ったり、打ったり、突いたりしようとするのに対し、自分も守ったり、攻めたりしようとすると、普通の人は心ならずも気持ちが高ぶり、落ち着きがなくなってしまいます。杖道を学んでいる人は、そうした気持ちをなるべく抑えるように心がけ、平常心という心の有り様を学んでいきます。最後に、言うまでもないことかもしれませんが、一般に武道では礼儀が極めて重要で、重視されます。もちろん、杖道でもそれは同じで、稽古する人の日常生活にも望ましい影響を与えていると言えるでしょう。

 

主な参考文献

乙藤市蔵 「杖道普及にかけた一生」 杉崎寛著 『杖で天下を取った男』 あの人この人社 (1998年) 1-7

塩川寶祥照成 『神道夢想流杖道』 気天舎 2012年

中島浅吉・神之田常盛 『神道夢想流杖道教範』 清水隆次監修 日貿出版社 1976年

松井健二 「神道夢想流杖術の全貌」 秘伝武術 前編 6 (1991年): 32-43 & 後編 夏 (1991年): 78-89

—– 『杖道入門‐全日本剣道連盟杖道写真解説書』改訂版 米野幸太郎監修 体育とスポーツ出版社 2006年

—– 『天真正伝神道夢想流杖術』 乙藤市蔵監修 壮神社 1994年

Muromoto, Wayne. “Muso Gonnosuke and the Shinto Muso-ryu Jo.” Furyu 23 Feb. 2001

<http://www.furyu.com/archives/issue2/Muso.html>

改訂版<http://www.koryu.com/library/wmuromoto1.html>

 

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